[講座リポート]京都・清水寺のこころ

会場500-281.jpg 2021年12月4日(土)、アスコット丸の内東京(大手町)で公開講座「京都・清水寺のこころ」を開催しました。

 講師は清水寺執事補の森清顕(もり せいげん)さん。京都からお越しいただきました。午前中はよみうりカルチャー荻窪で講義いただき、午後は大手町で講義いただくというタイトなスケジュールにも関わらず、ユーモアを交えながらわかりやすくお話しいただきました。

 音羽山清水寺の開創は778年。およそ1200年前です。清水寺の縁起絵巻の画像を見せていただきながらお寺の由来を聞きました。清水寺は観音さまの霊場です。清顕さんは、「観音様は33種の姿に変えて私たちを助けてくださいます。助けに来てくださっている時に気づけるかどうかなんです。例えば、友達が話を聞いてくれて少し気持ちが楽になったのならば、その友達が観音さまの化身なのです」とお話ししてくださいました。

 「全国に清水寺はいくつあると思いますか?」クイズが出されました。答えは80か所以上。清水寺は「キヨミズ」と読まれ、「シミズ」とは読まれないとのこと。京都の清水寺も、最初は「セイスイ」と読まれていたそうですが、「シミズ」とは読まれなかったといいます。不思議です。

 続いて、約500年前に描かれたという「清水寺参詣曼荼羅」の画像が登場しました。五条橋から清水坂へと続く参道や門前の様子も描かれ、当時の人々が清水寺の参詣を楽しんでいた様子がうかがえます。「それでは、一緒に参詣してみましょう」と、清顕さんが画像を拡大しながらお寺まで案内してくださいました。出発の五条橋(現在は松原橋)のところ、当時は鴨川に中の島があったそうで、そこにお堂がありました。お堂に祭られていたのは大黒天です。「本堂に来られて、出世大黒天をご覧になられた方もおられるでしょ? あの大黒天です。寺の外から本殿まで登ったので出世大黒天といわれるようになりました」と清顕さん。受講者の皆さんも清水寺へ行かれたことがあるようですね、すぐわかったようでした。

 清水寺の1200年は、数々の危機にも見舞われてきました。本堂の消失も奈良から江戸時代にかけて幾度となくありましたが、大衆信仰のおかげで復興できたそうです。明治の廃仏毀釈で清水の舞台を歩けなくなったことや戦時中は金属供出で狛犬を失ったこと、放火事件のために閉門・開門時間を設けたこと、阪神大震災では道路が寸断されたため消防車が消火に行けなかった経験から市民消火栓などを整備し、住民の皆さんと協力しながら観音様の霊場を守る取り組みをしていることを説明してくださいました。

 「京都にお越しになった際は、こんなこと言っていたなと思い出してくれたらと思います」と清顕さん。紹介してくださった境内の写真はどれも美しく、真っ青な空をバックにした仁王門や桜と一緒の三重塔の写真など見せてくださいました。が、人影はありませんでした。「開門してから撮った写真なんですよ。コロナで誰もおられません」。受講者の皆さんからもなんとなくため息が聞こえたような気がしました。気兼ねなく出かけられるようになったら京都へ旅行に行きたいですね。

森清顕写真200-266.jpg清水寺執事補 森清顕さん