[沖縄復帰50年]沖縄民謡と三線―音楽はエネルギー

 1972年5月15日、沖縄は本土に復帰しました。今年(2022年)で50年になります。沖縄の音楽に引かれる方も多く、よみうりカルチャーには、沖縄三線(さんしん)講座を受講される方が多くいます。教室からは、三線の音色と講師が歌う沖縄民謡が聞こえてきて、講座の時だけ、よみうりカルチャーは沖縄の空気感に包まれます。情報誌「よみカル」2012年夏号で取材した沖縄音楽・三線講座の記事を紹介します。

沖縄民謡と三線―音楽はエネルギー

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集いの場に響く音色

 素朴な音色が響くと、誰ともなく歌い始める。

 「結婚式でも飲み会でも、沖縄では人が集まるときに三線(さんしん)は欠かせない楽器です。何かと理由をつけては酒の席が設けられ、知らない者同士も演奏に合わせて歌えば、もう『いちゃりばちょーでー(一度会ったら皆兄弟)』です」
 
 そんなおおらかな人たちと一緒に演奏して歌えたら楽しいだろうなぁ......というのが宮里由美さんが三線と民謡を始めたきっかけだそう。



刀の代わりの楽器

 もともと、琉球王国時代に外国の使節をもてなす祝宴のための楽器だった。王国の士族は刀の代わりに三線を持ち、歌と踊りを教養としてたしなんだ。その宮廷の楽器が時代とともに庶民の間に広まり、各地にあった民謡や童謡と結びついていく。

 「沖縄の人たちは歌をとても大切にしてきました。そこに伴奏の楽器が入ることで、いろいろな行事や遊びの場で歌われるようになり、次第に沖縄の人々のアイデンティティーの一部になっていったのでしょう」

 恋の歌、豊年祈願の歌、教訓を伝える歌......本土ではあまり聞かれなくなった生活の歌が、沖縄では今も三線の音に乗せて歌われ続けている。

 「前向きな歌が多いんですよ。貧しくてもつらくても、愚痴を言ったらつまらない。これから良くなるんだとポジティブ。役人の理不尽さや人々のいさかいを風刺した歌も多く、ユーモアのセンスがあります。また、数人で交互に歌われる八重山民謡の『ユンタ』は、単調な作業も楽しく心を込めてやろうとする労働歌です」

 もちろんその背景には、つらい歴史や自然の厳しさもあるのだろうけれども、「そんなものは笑い飛ばしてがんばろう、という沖縄の人たちの生き方が歌には表れています。民謡を習うということは、その土地の風習や伝統を学ぶことです。そうした奥の深い魅力も一緒に伝えられたらと思います」。



音と歌と一体になる

 宴席もクライマックスになると、歌い手たちは一つのリズムに乗せていくつもの歌を競争するかのように歌いつないでいく。聴衆からは合いの手と指笛が飛び交い、その場にいる全員が両手を挙げて踊り始める。「カチャーシー(乱舞)」の始まりだ。

 「宴は一気に最高潮に達します。その一体感、エネルギーが沖縄の音楽の魅力」と宮里さん。

 カラッとした三線の音色は、青く澄み切った海と、明るく陽気な沖縄の人々を連想させる。そこには沖縄の文化と歴史もしっかりと刻み込まれている。

◇三線は、一音ずつ弾く。ギターのようにコード(和音)はない。楽譜は「工工四(くんくんしー)」と呼ばれる漢字で表記される。「最初は戸惑うと思いますが、読み方とポジションを覚えてしまえば、演奏できる曲の幅は広がります」。工工四は本来縦書きだが、宮里さんが使用する教本は、初めての人でも分かりやすいように横書きで工夫されている。

※「よみカル」2012夏掲載 「沖縄民謡と三線―音楽はエネルギー」宮里由美講師

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