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[講座リポート]御宿場印でたどる日光街道の魅力~日本橋から千住宿~
日光街道の起点日本橋から千住宿までを歩く野外講座「御宿場印でたどる日光街道の魅力」が2022年3月30日開かれた。
日光街道は江戸から日光までの約140㌔を結ぶ五街道の一つ。日光東照宮には徳川家康公がまつられているために、参詣道としてにぎわった。
御朱印の宿場町版「御宿場印」の日光街道・日光西街道バージョンは、宿場町の一つ千住の足立成和信用金庫が企画。沿道の信金や観光協会、NPO団体などと協力して昨年30か所の印をつくり、御宿場印集めを通じて街道の魅力を発信中。この日は、フリーライターの千本木亨雄講師が受講者10人を案内した。
スタートは日本橋観光案内所。ここで希望者は御宿場印を購入。歩くと間もなく立ち寄った小津和紙は伊勢松阪出身の方が創業した江戸最大の紙問屋で、現在は小売りもし、併設資料館で紙すき体験もできる。「小津」というと日本映画の名匠・小津安二郎監督も本家が確か伊勢松阪だったような。何か関係があるのでしょうか。
浅草天文台、首尾の松と巡り、蔵前周辺に来るとおもちゃ問屋が次々と現れる。あれあれ、なにやら懐かしいモノがいっぱい。ブリキのロボットやベーゴマ、ゴム製のタランチュラ、武者絵のたこに花火...。昔、10円握りしめていった駄菓子屋でよく見かけたものが店頭にあふれている。そうか、まだ生き残っていたのか。たっぷりと時間をかけて見たいが、ツアーの列はどんどん先に行ってしまうので泣く泣く後を追う。
駒形堂は浅草寺のご本尊が1400年前に、隅田川で見つかり初めて奉安された場所。
「このあたり南北10町あまりの川筋は魚介殺生禁断の地とされたんです」と千本木講師。その先の浅草寺雷門でランチ休憩。先ほど見かけた「駒形どぜう」に心惹かれたが、時間がないので断念。「まん防明け」の春休みとあって、境内も店も人であふれかえっている。イケメンばかりが引く人力車には外国人のカップルの姿も。思えば、これがコロナ前の日常だった。
浅草観音にまつわる悲話が伝わる「姥ヶ池跡」を見てから、隅田川に出ると、対岸にそびえるスカイツリーが間近に見渡せる。河川敷は隅田公園となっていて、満開の桜並木を愛でながら進む。いやあ、幸せだなあ。
次は待乳山(まつちやま)聖天、境内にはこの界隈で生まれた「鬼平犯科帳」の作者、池波正太郎の肖像が刻まれた碑がある。ここは大根をお供えするので有名、良縁成就を表す。境内で1本200円で売っていた。
次にさしかかったのが、かつての小塚原刑場。常磐線の南側の延命寺で首切り地蔵を見学してから、北に回って回向院。ここは吉田松陰や橋本左内の墓で有名だが、なんと、プロレスの神様「カール・ゴッチ」の墓があった。うーん。意外すぎるぜ。なぜここに? ハテナマークを浮かべたまま、寺を後にする。ちなみに前の通りは「コツ通り」と言うのだそうな。
桃の花と大量のお雛様が壮観な素盞雄(すさのお)神社を見てから、千住大橋を渡る。芭蕉が「奥の細道」に旅立ったあたりということで護岸に芭蕉の絵や文章が紹介されている。
神田・駒込ともに江戸の三大市場だった、やっちゃ場(青物市場)跡の「足立市場」(現在は都内で唯一の水産物専門の中央卸売市場)を通過する頃には、足が重たく、しゃべるのもおっくうな感じに。元気に先を行くほかの参加者の皆さんを眺めながら日頃の運動不足を嘆く。
ゴールの東京芸術センター前広場には、足立成和信用金庫や関係者の皆さんが街道沿い各地の地場産品のマルシェを開催していて、歓迎してくれた。歩いた距離は実に約10㌔、疲れた~。もっとも、江戸時代の男性は1日30㌔は歩いたというから、てんでだらしがないけれども、歴史と桜を満喫した春の1日でした。