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[WEB連載コラム]第20回(最終回) ブルー・アイランド氏がやりたかったこと(文と絵 青島広志)
昭和45年頃だと思う。高校生になったばかりのB(ブルー・アイランド=青島)は、将来の進路を音楽にするか美術にするかで迷っていた。中学時代には決めかねて、都立駒場芸術科(現 都立総合芸術高等学校)受験も視野に入れたものの、絵も捨て難(がた)く、両立できると評判のT学園に入学したのだった。しかしその2科目は選択制で、やはりどちらかを選ばねばならなかった。美術の教師は全くの芸術家肌で、全然表に立たず(よく教員が務まったものだ)、音楽のほうは学園の立役者でもあったので常に接していたこともあり、3人居た中で、Bの学年を受け持った教師が「君は音楽に向いている。それも作曲に。東京藝大を目指せ」と言った。そこで卒業生で一浪して同大に入った女性の先生を紹介され、週に1回のレッスンと、別にピアノの先生にも就(つ)くことになった。 しかし、捨てきれないのは絵である。個人指導と言うのは音楽に比べてなかなかあるものではない。すると母が新聞の広告欄を見せてくれた。「デッサン・油絵を専門の教師が懇切(こんせつ)丁寧に指導」するというのである。ほかに手立てもなかったから、早速その教室に行ってみた。そして失望した。まず場所が池袋の、当時は危険と言われていた西口の細いビルで、新築らしいのだが1階に1室しかない。事務所は別の階にあるようだった。生徒は2人しかいなかった。定刻になると化粧の濃い長髪の女性が事務員を連れて横柄な態度で現れた。講師がまだ来ないという。「お嬢さん」と呼ばれていたので彼女がオーナーの娘であることは解った。30分ほど遅れて顔色の悪い、乱れた服装の、しかし芸術家と言われれば納得できる男性が現れ、担いできた石膏(せっこう)像を描けと言うのである。今から思えば、メディチ胸像だった。だが、木炭の用意もないので画用紙に鉛筆描きである。もう一人の女生徒は初めてらしく筆が進まない。Bは何となく誉められた形で1回目の教室は終了した。 |
元東京藝術大学講師、洗足学園音楽大学客員教授。オペラや合唱など作曲した作品は300曲を超える。ピアニスト、指揮者としての活動も49年を迎え、コンサートやイベントもプロデュース。「題名のない音楽会」「世界一受けたい授業」などに出演している。
荻窪センターでは毎月1回、「音楽作品のバラエティ 作曲の師弟関係をさぐる」を開講中。小野勉の模範演唱に加え、青島広志のピアノ独奏も、滅多に聞けないプレゼントとなるでしょう。4月期最終回の6/16は以下の予定です。 6/16 三善晃~新実徳英 今年3月をもって、41年にわたる東京芸術大学講師としての勤務を終えましたが、音楽家の肩書を下ろしたわけではないので、国内での演奏会も年度内いっぱいは確定しています。なかでも一番規模の大きい「ブルー・アイランド版 蝶々夫人」は2023年3月24日~26日、豊島区「あうるすぽっと」(東京メトロ 有楽町線 「東池袋駅」直結)で6回公演いたします。ぜひご覧ください。 ★青島広志より読者の皆様へ |
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(情報誌「よみカル」2017秋号~2019冬号に掲載。2020年春からWEB掲載)
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